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本物を見極め、本質を追求し、新しい概念を創造する Wasendou

 

和泉堂は当代で三代目となります。流派は其仙庵(平成26年時点で活動中)から引き継いでおりまして、其仙流となります。初代であり、無相、和気修方(当時は生気修方)の創始者である溝渕 圭堂(みぞぶち けいどう)より歴史は始まりました。二代目は現在でもご存命であられます溝渕 真吾(みぞぶち しんご)。

 先代より相伝された奥義を更に研鑽し、より広く深く活用できるまでに確立された功労者でもあられます。そして時代は我々和泉堂へと受け継がれていくことになりました。其仙庵創立以前、以後の詳細な歴史は、現在のところご長男であられます溝渕 真吾の記憶と数少ない当時の資料からしか読み取ることができません。

 戦時中に構えていました店が空襲で焼けてしまい、当時の記録や歴史的価値のある資料等が殆ど消失してしまったのです。これにも逸話がありまして、先代は当時、追手筋にて宅占所(其仙庵)を構えて、精力的に活動しておりましたが、この場所も、寝泊まりしている家も全て燃えると察し、身柄と看板は現在の升形へと移転をしました。しかし、不運にも資料等はしばらく追手筋の店舗に保管していたため、人災は避けられたが、間に合わず物損は免れなかったという話を聞いております。先代の溝渕 圭堂は、当時を知るものがあまりに少ないために立証は難しい面がございますが、全国紙(新聞?)にも執筆をするほど、知る人ぞ知るこの業界の有名人でした。

 昭和24年に学友から執筆(書籍発刊)に際しての祝の書にも記載があるように、神童と評され、若年からの叩き上げで、九州、関西で修行を積み、その土地土地で名声を博しました。当時、この業界の聖地であり、激戦であった大阪の道頓堀で一世を風靡したとの話を聞けば、どれほどの腕と人格の持主であったかも想像がつきます。先々代の奇跡の数々は言えばキリがない程、人知を遥かに超えたエピソードばかりです。あまりこのような場で公開しますと曲がってとられかねないので、機会を伺いながら、紹介していこうと思っております。

 当然ながら地元(高知)においても、易者のとりまとめ役の存在であって、晩年亡くなる直前まで世のため、人のために精力的に活躍されておられました。現在でも古くから活動されている易者さんも丁稚の頃に晩年の先々代にお世話になった方もおられます。そして、我々が普及活動をしております無相についての基礎研究やマニュアル書的にまとめた書記や和気修方の原理である八宅明鏡の研究資料の原本がございまして、一部公開しておりますが、唯一の立証資料として必要の際に提出したいと思っております。また、先々代の好意で、この奥義書を直接頂いた方も現役で活躍中でしてその裏取りもしておりますので、資料としての歴史的事実と証人としての歴史的事実が今となっては僅かではございますが、存在することをご報告申し上げます。

先々代の人柄、略歴に触れて頂くのは下記の盟友(学友)からのお手紙を見て頂くしか他なりません。

現在のところ、詳細な沿革は記すことは不可能ですが、確かに系譜があり、事実として受け継がれてきた歴史があるということを証明し、これからの更なる発展と、歴史の構築をしっかりと繋いでいきたいと思います。


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◆ 明治後期から大正。  
溝渕 圭堂(先々代)

京都(新京極) 大阪(道頓堀)兵庫(御影)にて街易者、兵庫では宅占(店)も構え、全国に名を馳せる。(おそらく兵庫で其仙庵は産声をあげたと思われます。)

◆ 昭和初期〜戦中。
溝渕 圭堂(先々代)

高知 追手筋にて其仙庵活動。

◆ 戦中〜昭和40年代後半
溝渕 圭堂(先々代)

高知、升形にて其仙庵活動。

◆ 昭和40年代後半~現在。
溝渕 真吾(先代)

先々代の跡を継ぎ、升形にて現在まで精力的に活動。

◆ 平成23年9月〜現在。
和泉堂(当代)

先々代、先代の意志と技術を受け継ぎ、新しい時代の構築へ奔走を開始。



 ブログ・コラム集(一つのページにまとめてみました。

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